LiFECODE

ブログ「ライフコード」について

このブログの名前は「LiFECODE」と言います。このタイトルは、将来、僕が撮ってみたい映画のタイトルでもあります。ライフは生命でもあり、人生という意味もあります。そしてコードは、音楽のコードと、プログラミングのコード。生命や人と人との人生がコードを奏でて、それが何かひとつの流れとなって、僕らの目の前に立ち上がってくる・・・。僕はそんな<ヒトとコトの物語>を、映像や文章で紡いでいきたいと思っているのです。そういう映画をつくることが、僕のひとつの夢なんです。

その映画作りの前にこのブログでは、ヒト、モノ、コトづくりの3つを中心に、人が生きることの本質を探してみたいと思っています。それを表現してみたい。そして311以降、僕らは大きな転換期を迎えています。何が正しくて、何を信じたら良いのか分からない今。でも、すべては結局、人と人ですよね?僕はこのブログを通じて、LiFECODEの断片を見つけて、ひとつひとつを繋げて、ひとつの物語に変えていきたいと思っています。 ── 平野友康

いままでのLiFECODE

マーケットの規模よりラブ度が大事!

ソーシャルメディアの価値は規模の大小だけでは測れない。

〈ラブ度〉。それが、ソーシャルメディアのすべてだ。
 ラブ度がなければソーシャルメディアが存在する意味はない。そして今までのメディアとソーシャルメディアが決定的に違うのは、このラブ度を中心にすべてが動いているという点だ。
 ではこのラブ度とは何か。それは、ある物事や事象における愛着の深さと信頼の密度のこと。

 ソーシャルメディアにおいて大切なのは、視聴している人の数の多さ(母数)や仕掛けの規模の大小ではなく、どれだけの人と信頼関係を築いているか、どれだけの人が本気で熱中しているか、どれだけの人に愛されているかといった"深さ"と"密度"にこそあると僕は思っている。単純に言えば、視聴者数そのものは少なくとも、その大多数が熱中していればラブ度が高いと言えるし、逆に誰もが適当に見ているだけならば、どんなに母数が大きくともラブ度は低いと言うことになる。
 これまでのメディアでは、この"分母の大きさ"こそがそのメディアの価値だった。10万人が見ているものよりも100万人が見ているもののほうが10倍大きな価値があると。だけどソーシャルメディアはそうではない。大胆に言いきってしまうと、そのメディアでやっていることが、どれだけの人々に愛されているかにこそ価値があるのだ。どんなに見かけ上の数が多くとも、愛されていなければそこに価値はない。
 100万、1000万人が愛なく見ている巨大メディアより、たとえ100人、1000人であっても、そのうち大半が情熱と強い興味を持って参加しているほうに価値がある。それが、僕の言うラブ度だ。

 ラブ度は、とても大切なことを僕らに教えてくれる。
 1000万人メディアだったテレビ。
 100万人メディアだったラジオ。
 10万人メディアだった雑誌。
 そして1万人メディアの、ソーシャルメディア。

 ソーシャルメディアは、必然的に小さなメディアなのだ。そしてここでハッキリさせておきたいのは、例えば「ソーシャルメディアが100万人規模になったら価値が出る」のではないということ。むしろソーシャルメディアはその全体数が大きくなりすぎたら、意味がないかもしれない。だからあなたには、分母が大きくなったら参加してみよう、と思わないでほしい。視聴者が多いから価値があるのではなく、そこにほかのメディアにはない情熱や深さがあるから、そこに価値と面白さがあるということに、一人でも多くの人が目を向けてほしい。数が多ければ価値があるというのは既存のマスメディアの尺度であって、ソーシャルメディアの価値はそこにはないのだから。そして、ソーシャルメディアは、今までの巨大メディアが持たない素晴らしい可能性に満ちている。究極の個人メディアなので、今までの"広告媒体"としてのメディアとはまったく違う。
 例えば、ある音楽家はソーシャルメディアを使ってコンサートを無料配信した。それによってライブに来る人が減るどころか、逆に増えていった。
 ある歌姫は、自宅のスタジオから不定期にライブを配信した。その場でリクエストも受け付けて、リスナーたちとコミュニケーションを取り続けた。やがて彼女は自分自身の力で多くのファンを獲得し、とことんセルフプロデュースを貫き、才能を発揮していった。
 あるクリエイターは、自分の経営するゲームと音楽の会社そのものを配信スタジオに変えて、自社メディアをつくりあげた。そこで様々な実験を繰り返し、仲間を集め、既存のファンだけではなく新しいファン層も獲得していった。やがてその流れは大きくなり、活動の幅がどんどん広がっていった。
 ある映像作家は、自分で都内に小さなクラブをつくってそこから毎晩トークショーとDJやライブを配信し続けた。すぐにそれはソーシャルメディアにおける人気番組になって、紙媒体に代わる新しいカルチャーの発信基地になり、世界中から有名ミュージシャンが訪れる場所となった。
 ……もちろん、これらはすべて実話だ。そして共通しているのは、「やってみよう!」と思い立った本人がいなければ始まらなかったということ。その人の想いや理念や夢に賛同する人たちが集まって来たのだ。つまり、これこそが僕が〈究極の個人メディア〉だと呼ぶ理由だし、ラブ度こそが大事だと声高に叫ぶ理由でもある。ソーシャルメディアは、もしかしたらメディアと呼ばずに新しい名前を考えたほうがいいのかもしれないと思えるほどに、人が中心で、人と人とが集まってこそ魅力が生まれる〈場〉、つまりコミュニティなのだ。そして、そういう〈自分メディア〉を育てる人を、僕はメディアクリエイターと勝手に呼んでいる。

 このことがイメージできないといつまでたっても既存のテレビのようなものを想像してしまい、その価値に気付けない。1000万人見ていないと広告価値がない? それはものすごく間違った解釈だ。ソーシャルメディアは、個々の人が生み出す個人メディアだから、例えば自分のメディアを持つ人にとっては、自分のファン1000人が集まってくれればそれがすべてなのだ。逆に何万人、何百万人が見ていようとも、他人のメディアや番組への出演ならば、単に宣伝でしかない。宣伝できること自体はもちろんとても素晴らしいことだけど、見知らぬ誰か大勢が集まる場所よりも、自分のファンが集まるホームグラウンドのほうが大切に思えるのは当然のことだ。それぞれのメディアクリエイターたちが大切にしているのは、ファンと自分の関係を〈育てる〉という感覚。〈自分のメディア〉を持つというのは、きっとそこに価値があるのだろう。

 自分のメディアを育てるという愛情。対する受け手はそのメディアに触れてファンになり、その人がやっていることを応援するという愛着。そこにはこれからの時代を生きるヒントが隠されている。なぜならこれからの世の中では、"広く・浅く"よりも"狭く・深く"に価値があると思うから。それはつまり「誰もが嫌いじゃないから、より多くの人が受け入れやすい」という物事よりも、「ほかの人は分からないけど、自分は好きで好きで仕方ない!」という物事のほうが大きな価値を持つということ。そもそもソーシャルメディアはその名のとおり、単純な一方通行の娯楽ではない。ソーシャルという単語からも分かるように、それは人間関係の上に成り立つ参加型のメディアなのだ。だからこそ受け手も単に〈見ているだけ〉ではなく、チャットや様々なネットサービスを駆使して番組に〈参加していくこと〉が面白さへと繋がる。今までにない素晴らしい番組やコミュニティ、そして人との出会い。それに参加することはきっと多くの人にとってものすごく楽しいはずだし、得るものがいっぱいあるはずだ。送り手と受け手どちらにとっても、そうした〈気付き〉や〈発見〉が生まれる場所こそが、ソーシャルメディアなのだ。

マーケットの規模よりラブ度が大事!

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Profile: 宮澤 聖二のプロフィール

デジタルステージ取締役会長。メディアクリエイター。身近なところにある自分たちの“未来”をデザインするソフトウェアやソーシャルメディアの未来を創る企画をプロデュースしている。制作したソフトウェアはグッドデザイン賞金賞をはじめ文化庁メディア芸術祭優秀賞など受賞歴多数。2010年からネット中継「USTREAM」を使った独自のスタイルで新時代のソーシャルメディア論を積極的に提唱している。自ら手がける番組においてこれまでに延べ90万人の視聴者が参加。

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